地震

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おはようございます☼꒰๑ϋ๑꒱♬

 

今朝6時頃、地震ありましたねー。

長かったですね。

大きかったですよね。

大丈夫でした?

 

小さい頃から地震が苦手です。

2011年3月11日を期に、ますます苦手になりました。

寒くなると思い出します。

人間って忘れる生き物なんだよなぁと罪悪感を強く感じながら。。

 

岩手の揺れは大きかったですよ。

その時、盛岡のショッピングモールのアイス屋さんでバイトをしていたのですが、天井が落ち、柱が崩れ、当然「帰っていいよ」ということになりました。

家に帰っても両親は仕事に行っていますし、兄も大学に出ています。

ひとりぼっちになる私を心配して、一緒に働いていたパートさんがご自宅に連れて行ってくれました。

温かいですね。

今では連絡が取れませんが、今でも感謝しています。

自分の車でバイトに通っていましたので、各自の車に乗ってそのパートさんの家まで移動したのですが、なんと、信号機がすべて消えてるんですね。

そんな時も、盛岡の人たちは優しかったな。

交通量こそめちゃくちゃ多くて全く進みませんでしたが、それでも、譲り合って、ゆっくりゆっくり運転していました。

今、東京で暮らしていて より実感しますが、譲り合うその姿は本当に美しいと思います。

 

話を戻しますね。

携帯電話の電波も混み合い、電話はもちろんつながらないし、メールも届いてるんだか届いてないんだか。

(届いてないんですが。)

家族と連絡を取る手段がないので、「心配しては困る」と、交通量が少し落ち着いた夕方頃に、パートさんの家から自宅に帰りました。

ここの運転は本当に心細かったですよ。

3月の夕方といったら真っ暗です。

信号はついてないし街灯もついてない。

そもそも事故りそうで怖いのもあれば、

余震は続いてるし、家に帰ったところで家族は家にいるのかいないのかわかりません。

 

家に帰ると家族がいました。

かなりほっとしました。

 

ただね、ここから停電が続くのですよ。

ストーブのない盛岡の3月は、想像を絶する寒さです。

毛布ぐるぐる巻にして家族皆で過ごしました。

お風呂には2晩 入れませんでした。

頭がかゆくて仕方なかったのを鮮明に覚えてます。

 

そして、水道も使えなくなりましたので、スーパーには長蛇の列。

水が消えます。

食料が消えます。

 

ガソリンも入ってこなくなりましたので、ガソリンスタンドにも長蛇の列。

ガソリンも少なくなります。

 

本当に困ってるのは誰なんだろう。

そんなことを思いながら、それでも確保のために並びました。

みんな、心を亡くしたんじゃないかなと思ってます。

 

2日後、電気が通ってテレビを見ると、津波の映像がまるで映画のように流れてるわけです。

衝撃でした。

そんな状況の中で撮影できる勇敢な人はそう多くいるはずもなく、どこの局でも同じ映像が流れます。

私が覚えてるのは2種類の動画。

1つは高台の上から撮影しているもの。

坂道を走って登ってくる人。

その後ろからものすごいスピードで追いかけてくる津波。

。。。

 

 

もう一本は、少し高いところから、テトラポットや塀をものすごい水圧とともに乗り越えて来る津波の動画。

その横で、走る人。

 

 

 

 

 

私の住む盛岡は幸い内陸だったので津波の被害はなかったのですが、当時 岩手大学に通っていたので、沿岸出身の友達は多くいました。

両親、兄弟、祖父母の安否がわからず不安な友達がたくさんいました。

家族を亡くした友達も少なくありません。

最近ね、考える機会が多いのですよ。

 

 

生きるって何かな。

 

 

何のために生きるのかな。

 

 

今年の3月、大船渡・陸前高田・石巻に行きました。

ご縁あって、被災地を応援するArts For Hopeさんという素晴らしい団体と出会い、仮設住宅で演奏させて頂く機会がありました。

 

 

Arts For Hope(以下AFH)

http://artsforhope.info/

 

演奏だけでなく、一緒にアートを楽しみました。

具体的には、フェルトでマスコットを一緒に作って時間を過ごしました。

お茶やお菓子を楽しみながら、当時のお話を聞かせていただきました。

おつらい経験をお話くださったこと、心から感謝申し上げます。

 

代表の高橋さんは都内にお住まいを持ちながら、毎日毎日様々なところへお出掛けになり、力強く応援していらっしゃいます。

志を同じく持つ多くの人が集まって、今でも本当に強く強く応援していらっしゃいます。

本当に素晴らしい団体です。

 

 

あのとき出会った仮設住宅の方々は今でもお元気だろうか。

「また来てね」

それは社交辞令では済まされません。

自分の親のような、おじいちゃんおばあちゃんのような気持ちになりました。

私にできることって何なんだろう。

必死に必死に考える必要があります。

 

私の時間、エネルギー、もっと活かせるんじゃないか。

こんな私でも、求めてくれる人や場所ってあるんじゃないか。

できることってあるんじゃないか。

ってゆーか、

生きてる責任とでも言うのでしょうか。

“できる”じゃなくて”やらなきゃいけない”

使命のような。

神様からもらった身体、心、時間、エネルギーがあるのだから、人のために使わないといけないんですよ。

自分が幸せになるためにも。

 

東日本大震災で失ったものは非常に大きい。

ですが、犠牲になった方がいて、犠牲にならなかった方もいます。

私は犠牲になりませんでした。

津波にのまれ、海の渦の中をぐるぐるまわり、死ぬ覚悟さえしたが、生きた。

という方のお話をご本人から聞くこともできました。

犠牲になった方が、全身全霊で伝えてくださってることは何なのか。

残った人間がやるべきことは何なのか。

 

 

冒頭でも述べましたが、人間は忘れてしまう生き物です。

悔しいですが、何か今朝の地震のように動機がないと、忘れてしまうんです。

普段のうのうと生活していては考えないようなこと、今朝の地震で考えるきっかけになりました。

[さんてんいちいち]はイベントじゃないですね。

その日だけ思い出して、その日だけ黙祷しても意味がないです。。

 

 

 

自信過剰でも自意識過剰でもないですが、

私はサックスを持っています。

上手くはないですが、練習する時間があります。

人前で演奏する勇気も持っています。

それから、ダンスが好きで、習いに行ける環境があります。

目の前の人の手を取り、”一緒に踊ろう”と誘えます。

こういう一つ一つの小さなアイデンティティを活かして私ができることを必死にやる。

プロだとかアマチュアだとか関係なくて、仕事だとか趣味だとかも関係なくて、西谷美礼が西谷美礼としてできること、社会に向けてやるべきこと、自分の使命だと感じることを必死にやるだけ。

それが生きることだと思ってます。

 

昨日、向井師匠から言われたある言葉がとても印象的でした。

「天国の人も踊らせろ!」

別に地震の話をしてたわけじゃないです。

死んだ人の話をしてたわけでもないです。

ブラック・ミュージックの本質の話をしていました。

でも、私の頭の中には東日本大震災のことが浮かびました。

自身の祖父母のことも浮かびました。

「天国の人も踊らせる」

それが私の1つのミッションだと思っています。

 

 

今日、私のブログを読んでくださったのも何かのご縁ですね。

お忙しい時間を使って読んでくださって、ありがとうございます。

この時間が無駄にならないようにしたいですし、してほしいです。

 

なんのために生きるのか、

私(あなた)にしかできないことは何か、

誰のために生きるのか、

自分の身体、心、時間、エネルギーをどう使うのか。

 

少しでも社会を良くするために、隣の人を幸せにするために、何か考えるきっかけになってくだされば幸いです。

悲しいことですが、普段こういうことはあまり考えないでしょうから、何かきっかけがあった時くらい考えてもいいのかなって思いますよ。

あなたの生きる意味は何ですか?

 

 

 

おわり

 

P.S.

川崎市岡本太郎美術館で開催されている『つくることはいきること 震災<明日の神話>』展でAFHが紹介・展示されているそうです。

東北の皆さんが作ったアートが飾られているそうで、

「作品が響きあっている」

「直球ど真ん中剛速球」

そんな感想が飛び交います。

岡本太郎美術館での展示の後は、被爆建物 旧日本銀行広島支店で展示を行うそう。

まだ行けていませんが、必ず行こうと思っています。

2017年1月9日までだそうですので、皆さまも良かったら是非。

想像を絶するものすごいエネルギーなんだと思います。

詳細はこちら↓

http://wonderartproduction.com/tsukurukotohaikirukoto/

 

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